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Banda Choro Eletrico(バンダ・ショーロ・エレトリコ)

さて。毎年恒例のプロフィールコラムです。同カテゴリーから、今までの自己紹介もご覧いただけますが、今年は、バンド活動に及ぶまでの、私の多角的な活動についてです。

今まで、本業は、「幼稚園園長」で、幼稚園の終業後の夜や、休日に「リトミックWS」や、自分の楽団「ぺとら」で、演奏活動(うた、ピアノ)をしたり、お子様対応のライブで、ナビゲーターとして、オムツ替えスペースや授乳室を作ったり、安心して遊べるような環境設定をしたりしていましたが、申告が発生しないように謝礼を辞退したり、経費に使ってもらったりをしていたのですが、今度は、それも、ラボ(むらさきミュージックラボ=幼稚園跡地に設立したリトミック教室)と両立して、いろんな仕事をしていこうと思っています。

なので、今、新しい名刺のデザインを考えているのですが、各方面で、いろんなことを今まで積み上げてきたものを、いざ、これも「仕事」です、と言っていく責任を感じています。

・リトミック&音楽教室主宰

・お子様ナビゲーター

・楽団ぺとら主宰(ピアノ、歌、楽曲制作担当)

・手作り楽器講座、リトミック講座講師

そして、

・パフォーマー

ご存知のように、まり先生といえば、「おゆうぎ会」の振り付けを思い浮かべてくださる方もいると思うのですが、幼い頃にバレエをやっていたので、音大に入ってリトミックを専攻すると、すぐに、

「リトミックのプラスティックアニメ(動的造形)をやってみない?」

というお誘いがかかり、ゼミを待たずに、プラスティックアニメを「アンサンブル・ユーリズミクス」に入れていただいて勉強させていただいて、それは40歳くらいまで継続させていただいていました。そして、子育てが一段落した30代後半くらいから、オーケストラ作品を大人数で群舞する音大つながりの活動から離れて、ソロで、いろんなジャンルのライブで自分で振り付けて踊ったり、バグパイプの近藤治夫さんのお誘いで中世の踊り子風の大道芸をしたりするようになりました。

だいたい10年くらい、細々をやりつつ、幼稚園でも年に1度、おゆうぎ会でたくさんの振り付けをやったりしていたのですが、どちらも私にとっては、「プラスティックアニメ」。音楽を空間で演奏する気持ちで取り組んでいます。

バレエは、子供の頃から既に、トップを目指すのではなく、趣味と思っていたし、音大進学を考える時も、演奏をする側よりも、子供に関わることをしたいと思っていたけれど、私のできることで、何か一番得意なこと。私にしかできないこと、と言われたら、やはり、「音楽を空間で演奏すること」と、答えたい、ライフワークとしたいと思っていました。

「こどもの城」時代の先輩で、ほとんどの音楽活動を一緒に行っていた「つるさん」(小澤敏也 パーカッショニスト)が亡くなって、しばらく音楽から遠ざかるつもりだったのが、一番最初のアーティストとしての復帰作が、チェンバロ奏者武久源三先生の率いる「九次源」でした。その後、「浅草サンバカーニバル」や、パンデイロチームのメンバーとしての出演や、「ぺとら」も、「こどもの城」の閉館イベントや、「タンバリン祭り」(自主イベント)も行いましたが、どれも単発で一つ一つ、一区切りという感じでした。

一方、1年くらい前から、Banda Choro Eletrico(バンダ・ショーロ・エレトリコ)というブラジル音楽の中の室内楽のショーロのバンド、だけど電気を使っているよ、という名前のバンドに加入し、ひと月に1度の継続的な活動を続けています。

一般に、フリーランスが、自己紹介をするときには、一番メジャーなものから順番に言うので、私の場合、

「Banda Choro Eletrico(バンダ・ショーロ・エレトリコ)、パフォーマーの坂本です。」

と、いうことになります。

そのバンドが、CDをリリースして、大きな発表の場を持ったので、そのことをずっと書きたかったのです。

妖怪研究家、画家、パーカッショニストの渡辺亮さんは、

http://www.ryo-watanabe.com

つるさんの兄パーカッショニスト。私自身も中学時代に武蔵美サンバの亮さんと出会って、「こどもの城」でも、いろんなことを教わった大尊敬の兄貴です。

バンドのリーダーは、ブラジル音楽の重鎮「沢田穣治」さん。

https://ja.wikipedia.org/wiki/Choro_Club

30年前に一緒に中南米ツアーをした間柄から、亮さんは、沢田さんを「兄さん」と呼ぶ絆が あります。つるさんと私チームと、沢田さんとは、「おおたか静流」さんからのつながりの「でんでらキャラバン」で、初めて一緒に活動をするのですが、それは、死期の近かったつるさんにとっては、ほんの短い間でした。

つるさん→亮さん→沢田さん

と言う音楽の兄弟つながりは、いつしか沢田さんが、

「まりさんも、バンドに入ったら?そしたら、亮くんと会う機会が、増えるでしょ。」

と、お誘いいただき、日本のトップクラスのミュージシャンのお仲間に入れていただくことになりました。

これは、リハーサル風景。

音大で学んだことと、音楽で生活が成り立つプロミュージシャンというのは、理解度や、進行が全然違います。
キメを覚えるのが大変なので、私は、パフォーマーでよかったとホッとしているくらいです。
でも、私も、自分の領域では、プロに徹しています。
お客様と、バンドの音楽をつなぐ大切な役割は、
プロデューサーさんと、十分に打ち合わせをして、園長業で鍛えたコミュニケーション力で現場対応をして言っています。
ある意味、これは、私でないとできないこと。
衣装や、小道具のディレクションも含めて、自分で製作し、振り付け、パフォーミングして、お客様に音楽の楽しみ方を伝えること。
15歳で音楽高校に入学した時には、中学では、一番ピアノが上手い人だったけれど、音楽の専門の場では、みんながピアノが弾ける。ピアノが特技でなくなることで、自分のアイデンテティがなくなりそうでした。
リトミック科で、プラスティックアニメをみんなで踊ると、私だけ、バレエのようになってしまって、うまくいかないこともありました。バレエだって、リトミックだって、どっちでもいいじゃない。もっと自由なことを求めて、どうせだったら、アートや、手作りも取り込んで、「まりりんワールド」を作ってしまいました。

エレトリコのメンバーの皆さんと中華料理屋へ繰り出すところ。和気藹々。
年齢層は幅広いのですが、女子では、私が一番年上です。ママは、もう一人います。
音楽のジャンルも、現代音楽、舞台音楽、ファンク、サンバと、いろんなジャンルから、沢田さんからお呼びがかかった人ばかり。13人のメンバーは、皆、その道のプロなので、話題がつきません。

4/6には、大きなお披露目のライブがあり、最後は、他のバンドの出演者も一緒に、大団円となりました。
http://www.unit-tokyo.com/schedule/2016/04/06/160406_fervendo.php

私も、いろんなキャラクターのパフォーマンスをしました。

写真は、アンコールで、装束をとって、素になって、パンデイロを回しているところです。

つるさんが、亡くなる直前に、「最後の弟子」と言って、教えてくれたパンデイロですが、チームに入れていただいたものの、まだまだ、技術がおいつきません。

でも、全国的に見れば、「パンデイロ」で検索をすると、「小澤敏也パンデイロウェブレッスン」

https://www.youtube.com/watch?v=ihUmXQsfbTk

を撮影した人と、よく言われたりします。なので、公の場では、象徴として、パンデイロと一緒に登場しようと自分で思ったら、いつも応援してくださっている写真家の方が、とても良い絵を撮影してくださいました。

さて、まり先生は、これからは、園長先生ではなく、

街の音楽教室「むらさきmusicラボ」で、本気で音楽の弟子を育てつつ、

自分自身の表現活動も、今まで同様に、積みかせねていこうと思っております。

ラボの準備も、おもちゃを買い揃えたり、着々と、進めております。

6月オープン。

こちらも、ぜひ、よろしく!

以上、2016年の自己紹介でした。

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