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2016年2月

紙面版「かれいどすこ〜ぷ」おしまいのご挨拶

「かれいどすこ〜ぷ」
「かれいどすこ〜ぷ」は、多分1992年(平成4年)くらいに、リトミックのお便り名を「こんにちはリトミック」から、変えたのだと記憶しています。ここらいらへんの年譜も記させていただくと、
1989(元)音大卒リトミック講師兼業年中組保育助手としてクラスに入る生活を1年しつつ、保育の基礎を実践しつつ、同時に玉川大学の通信で、幼稚園教諭の資格を取得します。
1990〜91(2~3)は、幼稚園はリトミックの時だけ通う講師待遇となり、他の幼稚園の助手をした時期もありますし、「こどもの城」や「霊友会音楽教室」などのアルバイトも経験しました。
91年(4)に、通信の玉川大学で園長資格の1種を取得したことから、幼稚園から「リトミック教諭」専任の立場で迎えられ、のちに、95年(7)に、先代の理事長が亡くなった後に、5代目の園長となることになり、28歳で、園長と同時に、私立幼稚園連盟の国分寺地区長も兼任することになりました。当時は、1種免許を持つ園長職ということで、いろいろなお役目を頂戴していた記憶があります。
今は、待機児童問題もあり、認定保育園制度も始まり、ついには、資格のない保育者も一線に投入など、いろんな情報が行き交いますが、私が園長の資格を取る時代では、中学高校の音楽教諭の資格を持つ者が、園長の資格も持つ中で、日々の保育とリトミックの融合を見つめるということに、大きな意義を感じ、そのあと二人の子を出産し、実家の母と、保育園の助けを得ながら、キャリアを重ねていくことができました。
ふりかえると、この「一度も辞めていない」ことだけが、唯一、私が誇れることだったのかなぁ〜と、おもっています。足掛け28年、幼稚園にいさせてもらって、そのうちのほとんどを園長という立場で過ごしてみて、いろんな勉強をさせてもらいました。
「むらさき」は、言わずとしれた完全お弁当で、「母の出番の多い」ことで知られている幼稚園です。その中で、教わる多々のことから、自分の立ち位置をその都度考えて、仕事として、運営をしていきました。
振り返ると、いろんなママたちとの出会いで、思い出がいっぱいあります。
妊娠、出産、初めての学校、学校の係活動、学童の役員・・・。
母としての経験も重ねつつ、仕事に活きる知識として得ることができました。
「かれいどすこ〜ぷ」は、実は、92年にリトミックの国際大会の日本代表の一員として、ジュネーヴで2週間のスクールを受けた時に、各国のリトミシャンに触れて、自分のリトミックも、いろんな角度から見たいなと思ったこと。
当時、ちょうど、幼児のお受験ブームが熱くなり始め、リトミックについての関心が高まり始めた頃だったので、園児たちも、幼稚園だけではなく、外部のリトミックに行く子が複数出ていて、その中で、
「外の受験用のリトミックと、幼稚園の保育のまり先生のリトミックが内容が違いすぎる。もっと、受験に役立つリトミックをしてほしい」とか、「もっと普通のリトミックをしてほしい」「小学校で習うピアニカを教えてほしい」というクレームがあって、それへのお答えとして、私がやろうとしていることをしっかりとタイトル付けてしめそうと、「万華鏡」のようないろんな面をリトミックを通して、提示していきたいという思いで、名付けました。
ピアニカについては、保育の中では、本園の理念の「小学校の予備校ではない保育」にそぐわないために、保育の中では教えずに貫きました。
新規音楽教室では、幼児の部でも、会員には、すべての子にピアノのレッスンをつけますので、そちらの方で、新しいスキルを伝えていけたらと思っています。
28年間。
むらさき幼稚園の先生で、よかったです。ありがとうございました。
*新規教室につきまして、少しずつ準備を進めております。園舎解体の工事が落ち着く、6月スタートとなりますが、「未就園親子」「幼児〜低学年」「パーカッションリトミック小3〜」「土曜ファミリー」「土曜アンサンブル」「おとなリトミック(子連れ&シニア)と、様々なご提案を用意しました。個人のピアノレッスンを承ります。継続したレッスンだけではなく、合唱の伴奏を引き受けたので、その曲だけの突貫レッスンなど、できることは何でも取り組みたいと思っております。
覚えていていただけたら幸いです。

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リトミック参観 年長














最後のリトミック参観でした。

園児リトミックもラスト。

タンバリンの指穴のこと。
音階を空間に置き換えるリトミックの考え方。
サンバ。
アフリカからブラジルに渡った楽器の話。

お伝えしたかったことは、
言い切りました。

お雛様も飾るのは最後。

これも、嫁ぎ先が決まっているとのことで、
最後ですね。


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豆まき


豆まきについて、

今までも、本園での鬼が登場する意図や、
保護者さまの観覧のご希望をお断りすることなどについて、
説明をさせていただいていましたが、
今回は、初めての1クラスでの豆まき。
つまり。
他クラスに鬼が行っている間のインターバルがないので、
子供たちにとって、
「鬼が春を届けるために、つい乱暴になってしまったが、
時間をおいたら落ち着き、良い鬼になった。
という演出が難しいと、歴史研究家でもある鬼さんと入念に打ち合わせをして、
「良い鬼に改心したQだし」を私が担当することにして、
塩梅を見ました。
持ち上がりの同クラスではありますが、
昨年の年中が年長になったので、
少しだけ、時間も長く、年長らしい滞在をしていただかないと、いけません。
これは、怖がらせるのが目的ではなく、
その時間を真剣に共有するために、
「な〜んだ」と子供だましにならないためです。


鬼さんが、時間の経過とともに、
ほら、こんなにしおらしくなってきて、
みんなの豆エネルギーによって、浄化していくのがわかります。

そして、一緒に写真を撮る前には、
園長である私が棍棒を預かり、
アテンドして、こどもたちの安全を確保した上で、
という設定を守ります。
そして、
鬼なので、
扉も閉めないで、飛び出して、
靴も履かないで、そのまま門からはなく、
塀を乗り越えて、去っていきます。
お山に帰りがてら、春をおいていくのです。
午後になると、本当に、紫色の花が咲いていて、
こどもたちが、
「鬼さんが春をおいていった」
と、言っていました。


さて、
うちの幼稚園ならでは、
主任のウミ子先生の保育の素晴らしいところは、ここからです。
まず、豆を撒いたのに、ゴミはほとんど出ないのです。
撒いた豆のうち、形の残っているものは、
各自が家に持ち帰り、「家で豆撒き用」にします。
園で使用している大豆は、国産の高価なものなので、
割れないものは、しっかり残っています。
割れたカスを中央に集めて、鳥用の飼料にします。


大豆が潰れた後は、フローリングに油が馴染んで、ワックスがかかります。

ここで、落ち着いて、
みんなで円陣となり、
その子の年の数だけの豆を、
みんなで確認しながら食べます。
写真は、私が、サバを読んだ年の数です。
豆まきの時期には、
よく、学級閉鎖になったものだなぁ〜という思い出をふりかえりつつ、
今年も無事に終了しました。
本園では、「渡辺姓」の園児がなかなか出なくて、いつか調べたいと思うのですが、
「昔、渡辺さんという人が、鬼の腕を切り取って退治をしたので、渡辺家では、豆まきの必要がない」そうです。
みんなで豆まきをしている時に、
「うちは、関係ないから〜〜」
というご家庭に、一回くらい、教師として出会ってみたかったなぁ〜。
まぁ、保育なので、豆まきはしますけれどね。
豆撒き用に、小さいビニール袋に入ったものを撒くとか、
落花生を撒くとか、いろいろある昨今ですが、
私は、フローリングに、大豆の油が馴染んだ匂いを毎年嗅ぎながら、春を感じています。
ちっとも、不潔じゃないと思うし、
最終的に、鳥の飼料になるところまで、ゴミも出ないし、
エコだと思っています。
逆に、今ドキだと、
そうゆう昔ながらの豆まきの指導ができる昭和な先生の人材も少なくなっているのかもですね。
春を告げることは、健康上も大事なので、
ハロウィンとかよりも、
ここを大事にしたいと思う、まり先生なのでした。

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