太平洋空軍バンド
横田基地の友好祭りに行ってきました。
基地問題については、様々な考えがあるので、
理解を深くしていないところで、意見を言う事はできませんが、
私の経験をお伝えした上で、このバンドについて、感じた事を記録したいと思います。
私の実家は、カトリックなので、幼い頃から、カトリック教会同士のつながりという事で、通っていた「カトリック立川教会」には、当時立川基地との友好関係のために、英語の達者な神父様が配属され、復活祭や、クリスマスだけではなく、しょっちゅう友好のためのパーティが、立川教会や立川基地内のカトリック教会や、基地内の芝生でのガーデンパーティが行われていました。
私の幼少時代の頃の立川には、「松竹」「東映」などのの3つの歌舞伎小屋のような映画館が立ち並び、傷痍軍人が、デパート前にはいて、立川駅には、浮浪者がいっぱいいました。中武デパート(今のフロム中武)には、屋上に遊園地があり、階段の踊り場には、人口的に着色された粉末ジュースの噴水型の自動販売機がありました。紅茶きのこが爆発的に流行っていた頃です。
立川基地側のガーデンパーティでは、こどもたちは、麻袋に足をつっこんでの競争など、楽しいゲームをするとお土産をもらえました。その時に、うまれてはじめて、プラスティックのフォークを使い捨てにして、ゴミ箱に捨てるという事を経験して、
「ウソ〜〜!」と思いました。こどもながらに、捨てるのをやめて、こっそり持って帰ろうと思ったそのフォークは、自宅で毎日使っているフォークよりも上等に思えました。
ディズニーランドができたのは、私が高校3年の時ですから、たぶん、その頃から、フォークをバンバン一回使っただけで捨てる文化が、当たり前になったように感じます。
こちらに招く時には、基地のご家族の方は、必ず毒々しい色の2色や3色の大きなゼリーを持ち寄る方がいたり、基地の神父様のお誕生日には、ケーキが、ケーキの形ではなくて、グラマー女性の形で、しかも、ブルーがきれいにでていて、食品でブルーというにびっくりしました。
私は、ピアノが弾ける女の子というポジションで、どこでもBGMをまかされたり、母がコーラス指導をしているので、基地の教会のパイプオルガンも弾かせてもらいました。
そんな機会もあったので、少しだけ、修道士の方にパイプオルガンを習った事があるので、オルガンタッチの弾き方も、今は、役に立っています。
立川基地が閉鎖されると、横田基地との交流となり、今度は、自宅の近くに、軍医のご夫婦が越してこられたのをご近所の方がスーパーで声をかけられて、英語が得意な母に紹介をしてくれて、我が家との密な交流がはじまり、私は、小学6年生から高校2年生までの長い間、アメリカ人のご家庭で、英語のホームレッスンをうけていました。
英語は、残念ながら忘れてしまったけれど、「合理的」な考え方。どこからどこまでが、セルフィッシュ(自己主義)なのか、いろんな事を教わりました。
そこでも、折に触れて、将校と軍医だけが入れる場所などなどに、招待していただき、基地の中のサーティーワンアイスクリームの買い方がとても複雑で、最初にチケットを買うところからはじまるなどの、お金をみんなが払うのが当たり前が前提の日本のシステムとは違うアメリカの世界を知ったりしました。
大きくいえば、
私は、幼少の頃から、基地があった事によって、
「友好」というのは、
ものすごく、努力をするものなんだな。
ということを、一般の方と比べると豊富に体験してきたのかもしれません。
これは、幼稚園の看板をしょって、
「おまわりさんと交流」
「小学生と交流会」
などを行う時に、「引き出しを出す」感覚で、交流をプロデュースするという事に、
とても役立っています。
でも、英語を教えてくださったウルスラ先生のご主人が別の国に赴任をされ、
私も実家を出てから、しばらくは、基地の中に足を踏み入れる機会は、あまりありませんでした。(ウルスラ先生のご主人は、空軍医の中で、かなり専門的な分野の名医なので、時々、手術のために横田基地に軍用機でいらっしゃるので、私が母になってからも、幼稚園にも来てくださった事があるんですよ。)
それで、
数年前に時間が戻ります。
昨年亡くなった、つるさん(小澤敏也 パーカッショニスト)のお仕事で、横田基地の格納庫でライブをするという時がありました。(KING)
それで、その年は、私は同行できなかったのですが、次の年に、
「横田の友好祭りに、すっごく良いバンドが出るから、来年には、ぜひ観てみたらいいよ。」
と、いって紹介されたのが、
「太平洋空軍バンド」。
迷彩の軍服を着ているので、おそらく、慰問のために、太平洋の各地を巡回している音楽部隊なのでしょう。
つるさんが、おすすめしてくれたのは、その選曲です。
マイケル・ジャクソン
スティービー・ワンダー
パット・ベネター
TOTO
軍人さんたち。
一般の人。
み〜んなが知っている、みんなが好きな曲を選りすぐって、みんなが聴きたいだろうという演出で、一生懸命、力のかぎり演奏してくれるのです。
これは、元気が出るだろうなぁ〜、と思うのです。
私は、楽団「ぺとら」では、クラシックや、トラッドの著作権が切れているもの以外では、オリジナルしか演奏をしていませんでした。(楽団ぺとらは、つるさんが亡くなったために、現在休止中ですが、11月に縁のあるところで、小さい復活公演を予定しています)それは、バグパイプの近藤さんも、つるさんも、ガムランのたっちゃんも皆プロミュージシャンであるので、ジャスラック(著作権)には大変気を使っていたからです。だから、私には、コピー曲を演奏した経験があまりなく、同時に、ライブをどうせ聴くのなら、その人のオリジナルが聴きたいなぁ、とも思っていました。
でも、「太平洋空軍バンド」をはじめてみて、はじめて、こんなにコピーをたくさんやるバンドをみて、生の音楽を聴くという行為自体がすばらしいんだ!という事に気づきました。
それで、このバンドが、一生懸命、皆を喜ばそうと、有名な曲をあまりイメージをくずさないように、まるでカラオケのような感覚で演奏をバッチリきめてくれて、それを観客の皆さんが、ものすごく喜んでいるのが、いいな、と思っていました。
それで、今年は、久々に、「太平洋空軍バンド」を聴きたいな、と思って、
横田友好祭りにいって、聴いてきました。
マイケル・ジャクソンコーナーは、「ビートイット!」でした。
みんなでカラオケのように、熱唱でした。
日本でも、今は、自衛隊の歌姫が、注目されていますよね。
軍の必要の有無とか、
これもまた、いろんな問題や意見もあるとは、思うのですが、
与えられた場所でがんばる姿というのは、美しいと思っています。
戦前の話ですが、
私の祖母の手塚久子(故人)は、
満洲国を五族共和楽団で巡回公演をした経験があったそうで、
その時の体験話をいろいろとしてくれていました。
私が、本業の傍ら、
いろんな場所に行って、リトミック講習会や、演奏活動をさせていただく事に使命を感じてしまうのも、
血が関係しているのかもしれませんね。
「太平洋空軍バンド」を聴いていると、その場で演奏しているだけではなく、
旅のキャラバンの様子も、イメージで浮かんでくるようです。
政治の中で、様々な報道があり、
情報が多い中で、いろんな考えがありますが、
一生懸命な演奏を聴いて、
そして、ゴスペル合唱団の、身体の芯から湧き出る指揮をしていた黒人の指導者に、
また、仕事へのモチベーションをもらってきました。
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