2014 浅草サンバカーニバル
S2リーグ準優勝した「インペリオ ド サンバ」のパレード全景のyoutube
まり先生の夏休み、一番の大きな思いでを振り返ります。
コンテストなので、当日まで秘密にしておかなければいけないことがあり、
あまり皆さんに言っていませんでしたが、
人生初、サンバカーニバルに参加させていただき、
毎週(直前には連日)、衣装づくりの製作の集まりや、練習に参加させていただいていました。
それで、
私が今まで思っていたサンバカーニバルのイメージは、
普通に、主役は、タンガ(ビキニのような衣装)を身にまとった女性のサンバダンサー(後でこれはバシスタという役割だとわかります)なんだと思っていましたが、
実際に中の人になってみると、
浅草サンバカーニバルは、実はコンテストで、
リオスタイルを追求する厳しいルールやマナーが問われる一種のスポーツ競技のようなものであるとわかります。
私は、現在、つるさんから受け継いだサンバの楽器を所蔵しており、
園児も触れるチャンスを設けていますが、
サンバカーニバルを知らずに、サンバをこどもに教えちゃいかん!
と、天国のつるさんが思ったのでしょうね。
本格的にサンバカーニバルへの参加が決まる前にも、2回ほど、ワークショップに参加する機会があって、
日本の今のサンバに触れられる全体像のようなものと、自分の立ち位置がわかってきたところでした。
要するに、
私は今、サンバの楽器を意味もわからずにただ持っている人だったということに気づいたのです。
演奏は、ひととおり、つるさんに教わってできますけれど、
サンバは、演奏だけじゃなくて、オペラのような総合芸術であるということがなんとなく、夏前にわかった状態でした。
「こどもの城」「つるさん」とやってきたサンバは、
「世界の中にはいろんなリズムがあるよ」という世界の窓を開く、教育活動の中のひとついう位置づけなのかもしれませんね。
それだけの演奏ができても、ダメだという気持ちに、
つるさんが亡くなって、はじめてそんな気持ちになってきたところでした。
渡辺亮さん、つるさん以外の人から、サンバを習った事はなかったけれど、
その他の流派のことも避けては通れない、というある種の覚悟が、
「市の保育者研修のサンバ」「他市公立小中音楽教諭研修サンバ」に参加して、
準備が完了したところでした。
そうやって、何かの段取りにのっかっていくかのごとく、
つるさんが、パンデイロの第一人者として、プロになってから、
浅草サンバカーニバルに参加した時のエスコーラ(サンバの団体)に、
どのくらい追悼の気持ちがあるかということが、この130センチもの大きさのパンデイロのつくりものをみてもわかると思います。
それで、その裏面は、こんなになっていて、私がサンバダンサーの羽かざりのように背負っています。(テーマを象徴するジスタキという役割)
隣が、玉井正剛さん。つるさんの2番目に古いお弟子さんで、ジングルジムのメンバーでもありますが、サンバのエスコーラ「インペリオ ド サンバ」の中核メンバーでもあります。彼は、本当につるさんが大好きで、長い期間にわたり、一緒に活動をしてきた仲間でもあります。
私がつるさんの助手として管理をしている「パンデイロッカーホームページ」 には、今回の報告として彼の手記を掲載しました。
彼の熱い思いで、自分の師匠を追悼したい、彼のチームでパンデイロ隊をつくりたいという願いで、サンバカーニバルという枠、インペリオのメストリ(親方)や他のメンバーを根気づよく説明をしていってくれたのだと思います。
玉井正剛さん、本当にありがとう。
それで、私たちがお世話になった「インペリオドサンバ」についてなのですが、なんといっても、ここは、メストリ「ダミオン」の率いる、昔ながらの伝統的なサンバを継承しているような老舗という感じの規模の小さい家庭的な、まるでうちの幼稚園のようなアットホームなエスコーラです。
ダミオン師匠は、御年70歳over?だそうです。みてのとおりのブラジル人。指示はすべてポルトガル語なのですが、インペリオは、ブラジル人がたいへん多く、本番のパレードでは、さらにブラジレイラ(女性)バシスタ(ダンサー)が助っ人にきていたので、そうとうな割合でブラジル化しており、日常会話もポル語がとびかっています。
一緒に写真に写っているのは、左は、アコーディオンの中浩美さん。プロのブラジル系鍵盤奏者で大変有名な方です。長い黒髪なのが、今回、マリンバコンサートにも誘っていただいたマリンバ奏者の那須律子さん。この団体の副プレジヂデンチを務められています。それで、私たちは、国立音大シスターズということで、絆を感じつつ、練習に励んでおりました。
ダミオンは、「サンバの神」「パパ」と、ブラジル人ミュージシャン等、歴史を知っている人には圧倒的な存在で、もちろん「つるさん」も、「古い、俺の好きなサンバを教えてくれる」と言って、大尊敬していました。つるさんは、ダミオンの生徒というよりは、本田竹広さん(ジャズピアニスト)のPUREというバンドで、一緒にパーカッションを担当していた仲間という立場もあったのですが、世界的なサンビスタ(サンバをする人)に対して、いつも尊敬の気持ちを持っていました。園にあるつる楽器にも、ダミオンの製作したものや、バチがあります。宝物にして大切にしていました。
それで、動画でも気になったと思うのですが、
パレードに出てくる衣装、小道具は、全て手作りです。
大きな団体は、参加費もちゃんと採算のあう額を請求して、
ブラジルに発注したできあいの衣装を着ているところもあるそうです。
でも、家庭的なインペリオには、それぞれのエキスパートがいるので、
デザインから、パターン、実製作までをメンバーが行っています。
すごい才能の方が集まっています。
もうすぐ幼稚園が閉園なのが残念くらい、
いろんなノウハウを学ばせていただきました。
製作には、日系ブラジル人の方も複数いて、
「古巣」という日本語が通じなくて、
「でも、古い素なんて、おかしいでしょ」
と、いう話になって、そうだよね!と、発見をしたり、
ブラジルでは、妊婦は夜中にケーキを買ってきてと言えば、必ずそのとおりになるとか、いろんな珍しい話に花が咲きました。
隣の牧場から、夜中に妻のために牛の舌(たぶんまるごと)を盗んだ人が不起訴にもなったらしいです。ブラジルって、すごいね。
それもまた、
「日本でもそうでしょ〜〜」
「違う、違う、絶対にない!」
みたいな会話もあって、楽しいんです。
サンバカーニバルに出場するには、まずテーマを決めて、それにあったオリジナルの歌をつくります。音楽から、世界観をつくるのです。
インペリオさんのテーマは、今年は「アマゾニア」なので、アマゾンの雰囲気を表すために、コミサン(テーマのキャラクター)最初に槍と盾を持っています。(動画参照)
次に黒と白の牛がでてきます。
アマゾン地方には、黒い牛チームと白い牛チームで競う紅白歌合戦のようなものがあり、それが歌詞にでてくるそうです。
インペリオさんのカントーラ(歌手)は、4人中3人がブラジル人で、1人も、ご家庭ではポル語という環境と思われるので、発音が抜群です。
その次に、旗を持っているお姫様と王子様のような素敵な花形があって、その次が、私の「ジスタキ」というアーラ(同じ振り付けをして動くグループで今回はそれがパンデイロ隊)の象徴で、ママという役割で、つるさんの顔写真40センチが遠くからでも映える大きなパンデイロのはりぼてを、昔のホタテマンのように背負って歩いています。

ディズニーのパレードに出ている気分でした。
つるさんは、もちろん、サンバ界でも有名人なのですが、
沿道にいらっしゃるサンバに詳しい人の中に、
「あれっ?小澤さん、スポンサーなの?」
って、死んだって知らないで、これをみて、検索してネット記事で訃報を知った人もいたようでした。
私の後ろで、一糸乱れぬ隊列でパンデイロを叩いているのが、つるさんのお弟子さんたちのジングルジムから、参加をしてくれたメンバーです。
アーラというのは、とても重要な要素だそうなので、光栄なことです。
リズムパターンやキメの中には、つるさんがやりそうなことがちりばめられています。
ダミオン師匠は、大きなスルドを叩きながら、指示をだそうと歩いて前や後ろに忙しく移動をしています。いつも汗びっしょりですが、本番の汗もすごかった。でも、サンビスタにとって、この本番は命がけとわかります。気迫がすごいです。
ジスタキの私もアーラのパンデイロ隊も、ダミオンにも、皆さんにもとても優しくしていただいていました。
ブラジルの子育ては、基本、褒めて伸ばすそうで、
頭ごなしに怒ることはないそうです。
だから、こどもの自殺者はいないそうです。
今回、ブラジル人だらけの環境にいて、
「褒めながら、ここをこうしたらもっといい」
という笑顔での、ダミオン師匠の指示を受けられたことが宝物になりました。
楽器隊のことは、バテリア。
カントーラ(歌手)がいて、
機材車に乗ったアコーディオン、
歩いているカバキーニョ(小さいウクレレくらいの大きさのギター)、
七弦ギター。
そのうしろに、当日参加のみのTシャツ隊。
今回は、35人もいたそうです。
かなり人生の先輩もいらっしゃれば、こどももいます。
練習には参加できないけれど、
お祭りの雰囲気を味わいたいという人のためにも、こんな場所があるってはじめて知りました。
本場、リオのカーニバルには、観光客むけのこのプランもあるようです。
そんなわけで、
今年の夏休みは、毎週、サンバの練習に通い、
一緒に練習をしていたジングルジムのパンデイロ隊の皆さんと、毎回写真をとっていました。
ジングルジムの皆さんとは、
つるさんが隅田川アートプロジェクトGTS 日比野克彦監修ササクサスに参加した時にも浅草で活動をしたので、なつかしい思いもありました。
サンバ関係者の皆さんにおかれましては、
つるさんが、サンバカーニバル創設時から、ウニアンの一員として7年間、大車輪の活躍をした頃、そして、それがきっかけでパーカッショニストになった頃のことをご存知の方もいて、いろんな思いがあったと思います。
そんな時にぴったりの、
つるさんの名言。
インペリオ は、2014年の浅草サンバカーニバルにて、
S2リーグで、見事、準優勝でした。
偉大なメストリ ダミオンと、インペリオに感謝します。
ジングルジム、仲間に入れてくれてありがとう!
そして、
玉井さん。
夢がかなってよかったね。
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