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友人の訃報についてのご報告(つるさん、小澤敏也のこと)

この記事は、園児が読めないように、あえてこどもにわかりづらい表現で書いています。

(後に、プロフィール欄にカテゴリーを移動させた時点で、個人名を追加しました。)

今週は、友人の死去、通夜、葬儀のために時間休暇と早退を二回とらせていただきました。桜組においては、保護者の方から香典も頂戴いたしました。同組の一園児からは、手紙も頂戴したので、棺に納めました。もったいないので、とっておこうと思ったのですが、直前でその方が良いと思いました。彼もそれで読めるかもしれないと思ったのです。
ホームページ の管理やyoutubeの管理をまかされていた事から、私は彼のマネージャー扱いをされる事が多いのですが、もちろん本業優先で、幼稚園を彼のために休んだりした事は一度もありません。でも、平成2年に出会ってからの長い年月を考えると、多くの友人を共有しており、おおたか静流さんのまわりの方などを含め、仕事関係の方の事とのつながりを一番理解している友人が私という事で、息をお引き取りになる瞬間には立ち会えませんでしたが、18日亡くなってすぐに呼んでいただき、一夜明けて19日は出勤した後、ご遺体に対面をするごく限られた数名の友人とご家族とがお会いするのをお手伝いする意味で、勤務を抜けさせていただきました。
桜組のこどもたちには、「つるさんのお手伝いをするから」
と、その時には告げました。
本当にお手伝いだと、自分でも思ったからです。
翌日の水曜日には、通常勤務をし、その中におゆうぎ会への準備として、役員会がありました。そこで、私はどうしたら良いのかを役員さんに相談したのです。
こどもたちに心の傷はつくりたくないけれど、
週に3回もいない時間をつくる事をきちんと説明しなければ、
こどもたちが疑問に思う。
おゆうぎ会前で、他のクラスが劇をしている間。
自分のクラスの担任が「つるさんのお手伝い」と言っていなくなったら、
自分たちとつるさんどっちが大事?
と、きっとこどもたちが思うだろうと思ったのです。
いろんなご意見のひとつとして、
年長さんだったら、「死」という事について、きちんと話せば、
理解できると思う。下手に言い訳をしない方が良い。
膵臓癌で末期は相当な痛みがあったので、壮絶な死に様だったようです。
確かに、彼の場合は、それで楽になったと思います。
そこで、役員さんと手順を考えました。
ただ。クラスの園児に「死にました」を伝えると、
それをご家庭で伝えて、今度はお母様方がパニックになってしまう。
我が園には、たびたび遊びにきていたし、
毎年保護者むけにリトミックのワークショップも開講してくれていたので、
お母さん方にとっても大切な幼稚園パズルのピースだと思うのです。
そこで、最初にお母方に知らせるために、私が園で発行している新聞に書こうとも思ったのですが、それだとこどもの目に触れるために、受信料のご負担を考えて最小限にとどめているクラス連絡メールを使う事をお許しいただきました。
まず水曜日の時点で、保護者様にお伝えする。
年中、少は、保護者のみにとどめていただく。
木曜日。
年長は、私が早退をする前までに、クラスの中で私が担任として話す。
家庭に帰ってから、消化しきれない部分をご家庭でフォローしていただく。
という手はずになりました。
緊張しました。
私は、在職25年で、祖母と父を亡くしましたが、故人の遺言で二人とも教職だったために、私の勤務を最優先にするスケジュールを組んだために、忌引きの経験がありません。園児には報告しましたが、欠勤していないので、簡単なものでした。
でも、今の時期に担任がいないのは、大事です。
なので、一晩考えて、論理を組み立てました。
やはり、「つるさんのお手伝い」には、違いないのです。
ほぼ、葬儀委員長のような役割で、受付にいてくれる方の手配や、
弔電のセレクト、参列してくださる方々にご挨拶を喪主は動けない分、
私の役目となりました。
だから、
「お手伝い」と言っても、生きてるお手伝いでなく、
死んだからのお手伝いだと言いました。
水曜日は、放課後に劇の切り出しの「切り株」をつくり、
帰宅すると、故人の遺言通りのBGMのCDをつくりました。
参列された「おおたか静流」さんは、自分の曲ばかりで驚いておられたと思います。
自分が演奏に参加した曲よりも、闘病生活を支えてくれた曲で、
安らかに天に昇りたかったのでしょう。
死の翌日の夜は、
葬儀屋さんが来て、打ち合わせで、
独身だった彼のため、
ご親族にまじり、長年の親友として、
高校時代からの4人と兄パーカッショニストの渡辺亮 夫妻と私も加わりました。
不思議な事は、そこから次々と起こりました。
亮さんは、私にとっても、とても大事な人です。
園でも演奏していただきました。(ここに後でリンク)
亮さんと出会っていたから、彼に繋がったのです。
だからからか、
深夜になったので、車を安い駐車場に移しにいく途中、歩いていて何故か道に迷いました。彼が亮さんと私がふたりだけで深い話をするためとしか思えません。
亮さんがその時に私に言ったことば、
「こんなに長い間、友達でいたんだから、もうこれは愛なんだよ。」
と、彼も亮さんも、亮さんの奥さんも、家族だとここで確信する事ができました。
亮さんと二人で、亡くなった報告をあちこちにしていたのですが、どうしても彼のスポンサーであるANAジュネーブと連絡がつきません。送ったはずのメールが届きませんでした。16日には、彼女と会っていたのですが、私はもうスイスに戻っていたと思ったら、まだ出張中だったようなのです。彼女が無事に家について、休息をとったあと、ふとHPをみて死去を知り、国際電話がかかってきました。「きっと、無事に到着するまで、知られないようにしたんだね。」と。
多忙な静流さんには、訃報を知らせるなと、遺言で指示されていたのですが、静流さんは、「彼によばれた」と、葬儀に参列してくださいました。
弔辞で亮さんがビリンバウを演奏していると、ふと、彼と交信するような瞬間があり、亮さんは抜け殻になりました。彼の大事な友達がひとり、火葬場へのマイクロバスに乗っていなかった事を彼が知らせたかったのだと、後で気付いて、みんなで泣き笑いです。
火葬の後、ご親族みんなで、私が撮影しているパンデイロウェブレッスンのyoutubeをみながらパンデイロを叩いたそうです。彼の自慢の建築家のお兄さんは、一番下手くそだったらしく、お尻がふわっとその時に浮いたそうです。
桜組でお弁当を食べ、パンデイロを叩いてくれたのが、10/7。
運動会、組み体操で私がジェンベ、彼がブガラブーを叩いたのが10/12。
容態が急変したのが、10/15で緊急入院。
腹水を抜き、ダメージを受けましたが、手のほどこしようがなく退院。
車椅子生活になってからは、何回かお散歩に連れ出しました。
亮さんは、大事なアート作品の「木霊」を彼にお守りとして送ってくれました。
亮さんが、弱っている彼の前に、木の精霊のオブジェを次々と目の前で積み上げて、
まるで森をつくっているような情景は、忘れられません。
これが「愛」なんだね。
友情をこえると「愛」なんだと感じました。
高校時代からの友人の4人は、すぐに私の兄貴になりました。
「はじめて会ったけど、君が大好き!」
まるで、「ブレイブ」(今桜組で取り組んでいる劇)のセリフの通りです。
なんでも相談しているし、なんでも答えてくれて頼っています。
本当は、彼らに彼を担いでもらって、「笑点」の公開収録に連れていきたかった。
幼稚園の笑点にも来たがったけれど、入院中だったので、残念がっていました。
彼の遺体を湯かんしている間、
亮さんは、彼の遺作の作曲作品の音源を採譜して、
生徒さんに託すのを手伝ってくれました。
亮さんは、私が預かった彼の「終活」の葬儀連絡リストを眺め、
自分の知らない人の事は手帳に書き留めていました。
きっと、これから友達になるための準備をしているのだと思います。
桜組のみんなにも話しました。
「まり先生の友達のこと、みんなけっこう知ってよね。
友達の事を好きになれば、その友達の友達の事も好きになるよ。
六小に行った子が、九小に行った子の家に遊びにいったら、九小の友達がいて、
それはもう君の友達だよ。
友達が友達になってつながっていくんだよ。」
私のまわりの人々は、まさにそうやって亮さんから、彼につながり、また彼が繋いでいってくれたものです。
幼稚園の保護者の皆さんにおかれましては、
本当に数々のご理解とご協力を感謝しております。
これから、遺言により、
私に譲ってもらえる主にこどもが叩いて遊べる楽器を中心としたものが園にやってきます。
しっかりとねらいをさだめ、
「楽器は魂、遊びで扱わない」ことを教えて、
「楽器は心を映す鏡」であるという彼の精神を教育におきかえていく決意です。
ありがとうございました。

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コメント

心より、ご冥福をお祈りいたします。

投稿: ユキヤナギ | 2013年12月 1日 (日) 10時02分

いつも応援ありがとうございます。
頂戴した運動会の写真を気に入って部屋に飾っていました。最後の演奏が幼稚園で拍手喝采で良かったです。音楽家として、悔いのない人生と言っていました。私も自分の仕事にそう誇りを持って言えるように努力していきたいと思います。

投稿: まり | 2013年12月 1日 (日) 14時59分

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