« テスト | トップページ | パンダ日記、パンダの未来化計画 »

我が恩師退官

今日は我が恩師、リトミックと歴史的舞踏の中館栄子先生の
国立音楽大学退官のお祝いの会でした。
歴代の中館ゼミが集結し、代ごとにスピーチ。
お祝いの巨大ケーキ入刀。
みんなで買ったお祝いの品は、バレエ用品の店で買ったお稽古着。
「先生〜。試着して〜。」
のリクエストに、若手たちが即興で包装紙で目隠しカーテンをつくり、
上着をチェンジ後の大爆笑の先生のモデルぶり。
先輩、後輩たちの記念撮影。

どれもこれも
少しずつ
ずっこけていて
笑がある。
私たちらしい味に溢れてる。

何せ、
私たちは、
リトミックの中でも
身体の解放をモットーとする
「プラスティックアニメ」という身体表現を中館先生とともに学んだ同門で、
代を超えた学外公演でも汗と涙を流した仲間たちなのです。

代が離れていたり
、学外公演に出演してない子も同じ作品づくりをした者同士、分かり合えるのです。

私と同期のゼミ長
ゆきのさんは
ソウルメイトです。
音大に入ったばかりの頃、
当時、まだ出始めだった「パフォーマンス」という言葉に
二人同時に触れる事件があり・・・。

それから
幾度も幾度も
多感な学生時代に
雷にうたれるような音楽や
芸術に出会う時には
必ず
ゆきのさんと
一緒でした。

私たちが2年生の終わり頃
当時初めて発足した
4年生の先輩方の
中館ゼミ発表にて、上演された
「ラフマニノフ」の「鐘」(83R中舘ゼミ創作作品)
に感動した私たちは、
その感動をわざわざ先生のご自宅に押しかけて伝えにいきました。

先輩たちは、
ラフマニノフの音楽が見える体の形を必至で研究し続けたので、
20年後の先のオリンピックでは、
浅田真央選手のをリトミックに当てはめてダメ出ししてたそうです。

音楽の視覚化という目的では、
音楽が最優先になるので、音のエネルギーよりも
大袈裟な動きをしてはいけないのです。

先生のお宅に伺った時は夕暮れ時で、
先生がこれから立ち上げようと思っている学年を問わない学外の「リトミック身体表現」を専門に研究する団体(後にこれがアンサンブル・ユーリズミクス)となり、私は創設メンバーから入団して現在に至ります。)
の名前の中に「アンサンブル」とどうしても入れたい!という意気込みを聞かせていただいた時のあの空気感。
だんだんと日が暮れていくので、
「先生、電気つけなくていいんですか?」
とか、
「先生、お子様の夕食の仕度をしなくて良いんですか?」
みたいな事をきにしつつ、というあの状況。
ありありと思い出されます。


20年以上も前の話しですが、
あの時、
ゆきのさんが先生のお宅に誘ってくれなかったら
今の私はないです。

一生表現をしていくこと
子育てと仕事の両立
家計を預かる主婦でも研究に必要な投資は惜しまないこと
安物でもお洒落を楽しむこと
得意料理でのもてなし
教えた相手から学ぶ姿勢

先生から学んだこと
数しれず

生活の全てをさらしてくれた先生。
私たち学生のために自宅の一部の保管スペースを提供してくださった階段下スペースには、
主婦らしい高島屋の紙袋なんかの「捨てられない紙袋コレクション」もつまっていました。

いつでも自然体
教え子の前でも飾らず。
「寝不足なの。」
「熱がでたの。」
いつもで正直に言ってくれました。

本気で師弟でのケンカ

いろんなこと
走馬灯のように巡って、

最後の先生のスピーチの最中に
私たちは自然と号泣

スピーチは先生の恩師「板野平」先生とのエピソード。

それが代がかわって
私たち、そして私たちの生徒たちへと輪がつながると思ったら。

なぜか、
ゆきのさんの苦学生らしい小さなアパートの情景が
またまた
二人同事に頭に浮かんで・・・。

「お風呂がなかったねぇ〜〜」
と。
号泣。

また
二人同事に
脳が繋がったことに

号泣

後輩たちが
目を丸くしています

私は
どこでも
マイペースですが

大学時代自分の学年では、妹キャラでした
付属あがり現役入学、二月生まれでクラスで一番若かったからです。

お姉さん役のゆきのさんに甘えて号泣の私。

可笑しいけど、涙が止まらない。

音大を卒業した後も、「アンサンブル・ユーリズミクス」での活動にはひきつづき、いける時のみ参加させていただいていた私。
ジュネーブで行われた「リトミック国際大会」でも一緒にレッスンを受け、
日本で行われた「リトミック国際大会」でも一緒でした。
私の結婚式には自転車でかけつけてくださって、
花嫁姿の私に、
「まりちゃん、この自転車どこに置いたらいいの?」
と言った先生。

こどもが生まれてからも先生のエピソードは続きます。

上の娘のエリザベスも一緒に先生の夏の講習会に参加すると、
つい私の子供だから、私と同じつもりで熱い指導をしてしまい、
「わたしはまだコドモです。」
と、娘は抵抗して大泣きしたり。

20周年公演前の合宿に息子パンダを連れていったときのこと。
あまりの息子の騒がしさに、
「もう、お婆ちゃんとプールでもいくか!」
とまで言ってくださり、
もちろん辞退しましたが、息子は今でも、
「ママの大学のお婆ちゃん」として、3人目のお婆ちゃんと呼んでいます。

大学時代をディープに共にすごしていただき、
卒業後もこんなに長くおつきあいが続いている。

そんな出会いのある人生で、本当に良かったと思います。
帰宅してからも、娘に、
「大学にいったら、こんな先生に出会えるといいね。」
と、話しました。

素敵な一夜でした

Cimg0633


|

« テスト | トップページ | パンダ日記、パンダの未来化計画 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 我が恩師退官:

« テスト | トップページ | パンダ日記、パンダの未来化計画 »