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2010年音楽との出逢い(自己紹介)

毎年恒例の4月冒頭の自己紹介です。
はじめて読むなぁ、と思われる方は、
カテゴリーの「プロフィール」をクリックしてくださいね。
毎年の年齢がでてきちゃいますです。
ハイ、そして、今年は43歳を迎えました。
娘エリザベスは中2、息子パンダは4年生になりました。
うちの幼稚園でリトミックを教えて、22年目に入ります。
園長になったのは、平成7年の事なので、もう15年目になるのですね。

それで、今回は、
「音楽を習う」というテーマで自己紹介をしていこうと思っています。

私の家は、いわゆる音楽一家で、祖母が声楽家、母はピアノや声楽、合唱を教えていて、今も現役で合唱団をいくつもかけもちをしています。父は音楽教師から管理職になって、今はリタイア中。家族に3人も国立音大出身者がいるので、高校は自然と国立音大の付属高校に進みました。

その前に「習う」なのですが、そんな環境なので私は自分がいつピアノが弾けるようになったのか記憶にありません。母が教えているピアノをひがな聴いて育ったので、楽譜も読まずにソナチネなんかを記憶と耳で弾きこなすこどもでした。自分が習った経験がないので、ピアノの教え方がわからず、今でも自分のこどもたちは一人もピアノが弾きません。我流が強すぎて、母のピアノのお弟子さんの家で遊ばせてもらいながらピアノを習ったりしたのですが、さすがに小学5年生にもなって楽譜が読めないのも何だということになり、小学5年生から国立音大のピアノの先生のところまでひとりで国立まで通うこととなりました。先生の「藤原先生」は「耳をひらく」という絶対音感の教授法のスペシャリストだったので、絶対音感が自然と身に付いていた私は得意になっていた反面、楽譜の読み方、ピアノのタッチなどは徹底的に初歩のバイエルからやり直すハメになりました。
先生の口癖の「バイエルは美しい」は、今でもそう思います。最近では、「バイエル離れ」があるようですが、私は基礎は大切だと思うし、本当に美しいと思っています。

音高、音大と進むと、時代はバブルです。女子学生はこぞって、近隣の大学とのサークル活動に没頭する中、「打楽器アンサンブル同好会」に入会します。「サンバ」をやってみたいと思っていたのですが、ここでも基礎を学びました。打楽器のイロハというか、スティックの持ち方のような事を一生懸命やって、現代音楽の難しい打楽器アンサンブルもフランスから怖い先生がやってきて指導してくださいました。とりくむ音楽によって、音大だけにいろんな先生に指導をしていただき、ここでいろんな音楽の幅を知りました。自分でアレンジをしてみんなで合奏をしてもらうのも楽しいと思っていました。
専門のリトミックも忙しかったので、「音楽を習う」といって思い出すのは、この打楽器クラブのことばかりです。

そして、卒業して、1年はここの幼稚園でリトミックと年中組の助手という形で専任勤務をしたのですが、その次の年度はリトミックだけの講師となったので、他にアルバイトを探す事になり、音楽教室と「青山こどもの城」に通う事になりました。

この時に、アルバイトの面接で私を採用してくださったのが、こんど、4/24に「ガドガド」として来園してくださる「マコト」さんです。ここには、音楽職員の方の他に、いろいろと不思議な人がたくさんいました。専門分野を持つ現役のミュージシャンたちが、最先端の音楽を伝えるために、この音楽ロビーに常駐しているのです。さすが、国立の施設。当時の「こどもの城」は最先端でした。外国人のメイドさんがお金持ちの白人のお子様を遊ばせるために通っていらっしゃるイメージもあり、国際色豊で芸能人もたくさん見ました。
今は、一般にも「入館料を支払ってこどもを遊ばせる」という感覚が定着したので、ちょっといろんな体験ができる大きな児童館というカジュアルなものになっているみたいですね。
それで、そこには「中国からやってきた胡弓の達人」「口琴の達人」「ブラジルの楽器なんでも屋さんで、美大出身でなんでもつくれる人」など、いろんな方がいたのです。

そこで、びっくりな事に、その「なんでもつくれる人」は、今はパーカッショニストであり、妖怪研究家の渡辺亮さんで、武蔵野美術大学の隣の中学に通う私にとって、「ビリンバウを弾いている不思議なお兄さん」として記憶に残っていたのです。縁はあるんだなぁ、と思いました。そこで、「パンデイロの達人」のつるさん、何でもピアノで表現できてしまう「たっちゃん」とも出会いました。こどもの城の先輩たちには、いろんな楽器を習いました。
きれいに音大では習わなかった特集を組んでもらっているかのごとく、いろんな楽器を知りました。今でも私が世界各地の楽器に興味があるのは、ここが原点なのですね。

出産、子育てで目一杯な時期を経て、38歳の時に「中世の放浪楽士」をコンセプトとしたグループの「ジョングルール・ボン・ミュジシャン」が、首都大学の学園祭に招かれ駅からパレードをする事になりました。そこで、幼稚園でいつもこどもたちに接している私が先導をするとよかろう、という話になり、そこで私ははじめて幼稚園の外でこども向けの活動をすることになり、後に「ぺとら」の結成のきっかけとなりました。バンマスのバグパイプの近藤さんは、私の音大時代からの友人の辻康介を介して知り合いました。辻さんは、湘南ビーチFMのDJでもあるのですが、すぐれた音楽家で、いつも私にはげましをくれました。私も感謝をこめて、「ぺとら」の物語の中に「つぅーじー」先生として登場しています。彼は、「ロバハウス」とも縁が深いので、いつもどこかで人間はつながっているのですね。
近藤さんに習った事は数知れませんが、「ここで引く、ここで押す」みたいな表現のイロハを実に丁寧にいつもレクチャーしてくださいます。音楽の本来の姿かもしれない「放浪楽士」を研究なさっているからかもしれませんね。

今は「ぺとら」に、こどもの城時代からの旧知の「つるさん」が加わり、今はまた新しい一歩ということで、今まで公園での大道芸ライブだった「ぺとら」の形がライブハウスへも参入をしています。

「ピアノを習ったことがない私が音楽を教える」
この矛盾は、今でもかわりませんが、
わたしだから教えられる「音楽」があると思っていろいろと試行錯誤をしています。

私の教えるリトミックは、
いつも変化しています。
ちょっと前の教え子たちは、「まり先生といえばピューロランド」とか「シンガポール」とか、その時々のマイテーマを思い出してくれるはずです。


そして、今のマイテーマは、「自分でつくった教材、素材」なのです。
こどもたちと接する中で生まれる、幼稚園発のことばを音楽にして、お話にして、
それをこどもたちと共有したい。
そんな思いで、幼稚園でのリトミックと、外部での創作活動「ぺとら」は共生しているのです。

ここ最近は、「ワークショップ」として、外部で教える活動もしています。

普段、幼稚園生を対象にしている私が、高校生や大人を相手にリトミックを教えていくのはチャレンジであり、また、この仕事のスキルをあげるチャンスだとも思っています。


そんな感じで、
「まり先生は、家ではお母さん、幼稚園にも一日いて、休日には外でも活動をして、作曲やお話もつくってる。ブログもやってるね。いつやってるの?」
と、よく言っていただきますが、わたしの中では全てが繋がっていること。自然にやらせていただいています。外部で高校生教えている時も、おしゃれなワークショップの時も、「ぺとら」でライブハウスにいるときも、「お母さんキャラの幼稚園先生〜〜〜」っていう感じなのですよ。ぜひ、いちど、見てくださいね。あ、同窓会で見られますね。


と、いうことで、ここにでてきた「私に音楽を教えてくれた人」がたくさん登場する今回の「同窓会」なのです。ぜひぜひ。お楽しみに!

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